江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2021/02/28 |
新型コロナウイルス感染症へのワクチン接種が、いよいよ日本でも始まった。当面は医療従事者、ついで高齢者、基礎疾患を持つ者の順に進んでいくようだが、ここまでの規模のワクチン接種を国民に対して集中的に行うのは過去に例がなく、順調に進んだとしても相当の時間がかかることは避けられまい。まったくの未知なウイルスに対し、これほど迅速にワクチン開発へ至ったのは驚くべきことで、人類にとって希望の光と言うしかない。が、まだまだ不安の種は尽きない。ウイルスはこの間もずっと変異を繰り返しているし、いつなんどきまた別のウイルス性感染症が突如、顔を出さないとも限らない。実際、今週になってロシアの衛生局が、高病原性の鳥インフルエンザウイルス「H5N8型」のトリからヒトへの感染が世界で初めて確認されたと発表したばかりだ。
このようなことを考えたとき、かりにワクチンの接種が広く行き届き、その効果が一定程度確認されるようになったとしても、私たちの生活習慣が完全に元に戻るのは難しいのではないか。観光や飲食への集中的な助成によって、一時的な活発化は見られるかもしれない。けれども、店舗の時短営業や列車の最終時刻の繰り上げによって、私たちの「ナイトライフ」は足もとから様変わりをしてしまったし、大人数による宴会や公演、そして移動そのものの感染リスクが頭から完全に払拭(ふっしょく)されることはもうないだろう。マスクの着用は季節を問わず常態化されるだろうし、人と人との距離を開けることも当たり前のことになっていくはずだ。
こうしてやがて取り戻されるであろう日常は、それでもなお一見しては「日常」そのものかもしれない。戦争や震災のようにただちに街が破壊されたり、すぐに逃げなければ命を落とす性質のものではないからだ。だが、コロナ禍以後の日常は、それ以前の日常ととてもよく似ているけれども、そうであるがゆえに、その微細な違いが、完全には剝(は)がし難くつねに心理につきまとうものになるのではないか。
それを端的に言えば「ぼんやりした不安」(芥川竜之介)の持続ということになるだろう。言い換えれば、感染リスクを抱いた日常は、かつて喧伝(けんでん)された「終わりなき日常」とは大きく異なっている。終わりなき日常とは、戦争や震災がもつ劇的な性質ゆえのカタルシスを欲望する破滅的な心理への、それこそワクチンとして機能した。ゆえに終わりなき日常とは、大きな物語などに頼らずとも、よくよく目を凝らせば、かけがえのない細部をたたえており、そちらへと目を向けることで救われるための視点の移動でもあったのだ。アートの世界で一時期唱えられた、かつての大作志向とは対照的な「マイクロポップ」も、その一種であったと言えるだろう。
ところが、コロナ禍以後の日常は、むしろまったく逆の性質を持っている。つまり、目を凝らせば凝らすほど、暮らしの細部が感染症のリスクと隣り合わせであることを、私たちはもう知ってしまった。それはかけがえのない細部というよりも、あらゆるところに「ぼんやりした不安」を浮かび上がらせる。そしてこのぼんやりした不安には、まさしく終わりがない。芥川を自死に追いやったのも、切迫的な恐怖というより、このぼんやりとした性質の方だった。そのことに私たちは、果たしてこれからずっと耐えられるだろうか。(椹木野衣)
=(2月25日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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