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遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<49> 【連載】忘却と反復 蓄積なき繰り返し 蔓延る肉体の享楽

2021/10/26 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 今月18日、新型コロナウイルスの感染者数が東京で一日に29人となり、今年になってもっとも少なくなった。正直なところほっとしている。もっとも、なぜここまで順調に数が減ったのかについては、いまひとつ納得のいく説明が見つからない。

 確かにワクチンの効果はあるのだろう。だが、東京では緊急事態宣言下でも新宿や渋谷の街の賑(にぎ)わいは、皆がマスク姿であることを除けば、以前とさしたる違いはなかった。また、デルタ株の感染力は、従来とは桁違いの脅威と繰り返し注意喚起されていたのではなかったか。いかにワクチン接種が進んだとはいえ、国民が全体で集団免疫を獲得するにはまだ至っていないし、この冬の第6波の到来は第5波を遥(はる)かに越えるとの予測もある。けれども一部では、もうコロナ禍は収束したかの気分が見られるのも事実だ。

 もちろんそれは気の早い話だろう。だが、緊急事態宣言が全国で解除され、旅行や仕事での出張などの移動の自由が戻り、飲食店も活気を取り戻し、ワクチン接種も二度済んでいるとなれば、気持ちががらりと変わっても無理はない。Go To トラベルの早期の再開を望む向きも多い。

 しかし振り返ってみれば、昨年の今頃もそんなふうだったのだ。それが11月ごろから再び増加の傾向に転じ、年末から年始にかけて感染者数が跳ね上がり、慌てて急場の対策に転じるという顛末(てんまつ)だった。ワクチンも接種後時間が経(た)つと抗体が大幅に減少するという報告もある。油断している場合ではないのだ。

 こうして忘却と反復が繰り返され、歴史的な認識に基づく蓄積が伴わない困難について、かつて私は長編美術評論『日本・現代・美術』で、戦後の日本現代美術に見られる特徴的な傾向だと指摘した。そして、そのことで弁証法的な矛盾の克服と総合的な発展によって美術史を築いてきた西欧とは異なる美術批評の必要性を説いた。その根源的な背景として、東日本大震災以後に執筆した『震美術論』では、日本列島の地下構造がプレートの折り重なりと活断層による地震の巣で、ゆえに破壊と創造を繰り返さざるを得なかったことにたどり着いた。だが、こと疫病に関していえば、日本列島だけの問題ではないのかもしれない。新型コロナについては、まさしくパンデミックの名の通り、世界中で同様の忘却と反復が繰り返されているからだ。

スペイン風邪の流行で福岡市内で休校が続出していることを報じる
1918年11月3日付の福岡日日新聞(西日本新聞の前身)

 思い起こせば、そもそも1918年にピークを迎えたスペイン風邪のパンデミック自体がそうだった。その犠牲者が同時期の第1次世界大戦による死者を遥かに超える大惨事であったにもかかわらず、このパンデミックは20世紀初頭の世界戦争と比べて、その「世界性」に見合う歴史的な考察の対象と長くされてこなかった。このことは本連載の開始当初でも触れ、その理由についてずっと釈然としなかったが、忘却と反復を短期間で繰り返す現状を目の当たりにした今なら、わからないでもない。戦争のあとに残るのは勝者でさえ、その加害性ゆえに先の見えないトラウマと精神の荒廃だが、加害者のいない疫病の周期的感染増加のあとには、ウイルスに代わって急性の肉体の享楽が蔓延(はびこ)るのだ。

 今回のコロナ禍は、奇(く)しくもスペイン風邪のパンデミックからおおよそ100年経って発生した。そのことで改めてその名が歴史に呼び戻されたのだ。今回のコロナ禍から百年後の2121年に、では今回のパンデミックはどのように扱われているだろうか。(椹木野衣)

=(10月21日付西日本新聞朝刊に掲載)=

 

椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。

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