「浦川大志個展 スプリット・アイランド」
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福岡市美術館
| 2022/06/01 |
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政府からコロナ対策の要であったマスク着用について緩和の目安が示され、これでまた一歩、かつての日常が戻ってきそうだ。実際、マスコミの報道などでも、今回のマスク緩和について多くの人が肯定的に受け止めている様子がうかがえる。だが他方で、私の住む東京の都心で道ゆく人を見ていると、現時点ではまだ、ほとんどすべての人がマスクを着用したままだ。これから気温が高くなればおのずと外すようになることも考えられるし、他の人が外すようになれば、次第にそれに倣い着用しない人が増えるのかもしれない。
だが個人的には、少なくとも人混みのなかでは、たとえ至近で会話するようなことがなくても、当面のあいだはマスクを着けたまま過ごそうと考えている。理由としてあげられるのは、マスクを着用することの息苦しさに耐えるなかで、そのことで生まれる利点にも気がついてしまったからだ。なかでももっとも実感させられたのは、これは前回も触れたが、夏と冬とを問わず、ほとんど風邪らしい風邪をひかなくなったことだ。言い換えれば、都心の人混みが、いかに細菌やウイルス、そしてそれを運ぶ粉塵や花粉、そして飛沫で溢れていたかがわかってしまった。事実、欧米でサル痘と呼ばれる感染症が一部で新たに広がっている。今後もどんな未知のウイルスが出現するとも限らない。
2番目は、マスク着用がこれほどまでに常態化したことで、人前で素顔を晒すことのリスク、と言えばよいのだろうか――そのことの「非日常性」のほうが際立って感じられるようになったことだ。そういう視点で考えてみれば、個人情報がことのほか重んじられる現代にあって、ある人がどのような顔をしているのか、ということは、最大の個人情報であると言ってよい。カメラで撮影されることがなくても、名前を特定されることがなくても、剝き出しの素顔のまま街に出るということは、個人情報を公開しながら歩いているに等しい。そういう気持ちに立ってみれば、マスクを着用していること自体の安心感というものがあることがわかったのだ。
こうしたことは、マスクの着用が事実上義務化されたようになった当初では、いずれも予想していなかったことだ。しかしたとえ少数であっても、それらのことを意識してマスクの着用を常態化していた人はコロナ以前から存在したはずだ。そうでなくても、日本人の「マスク好き」はかねて指摘されていた。たとえ政府がマスク着用の基準を緩和したとしても、またパンデミック以前のような状態にすんなり戻るとは思えない。むしろコロナ禍は「日本人のマスク好き」を公認のものとし、結果として大幅に拡大したのではないか。
そうして考えてみたとき、本来は細菌やウイルス、粉塵や花粉を体内に取り込まないための防御膜として存在したはずのマスクが、ちょうどサングラスのように、実は他人からの視線を遮るための手軽な遮蔽装置としての働きを持っていたことに気づくのだ。その機能に特化していえば、マスクとはマスクというよりも日本語で言うところの「仮面」である。だが、マスクとは英語で文字通り仮面を意味する。とすると、コロナが去ってもなおマスクが常態化するなら、それは国民が総じて仮面を着けて暮らす社会が到来することを意味する。(椹木野衣)
=(5月26日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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