国内外問わず知名度も高く人気も高いオランダ出身の画家マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898-1972)。彼の作品は現実にはありえない視覚効果の世界で人間の目の不思議さを感じさせ、新鮮な驚きや感動を私たちにもたらしてくれる。これまでも数えきれないほど展覧会が開かれてきており、そのつど「視覚の魔術師」「だまし絵の巨匠」といったサブタイトルとともに、エッシャーの世界がキャッチーに伝えられてきた。2019年2月から福岡アジア美術館で開催される「生誕120年 イスラエル博物館所蔵ミラクル エッシャー展The Miracle of M.C. Escher: Prints from The Israel Museum, Jerusalem 」も「ミラクル」というコピーが私たちの期待を掻き立ててくれる。
エッシャーは美術だけでなく数学や心理学などの他分野からも注目されるが、その大きなきっかけとなったのは1954年の国際数学学会の主催によるエッシャー展である。そのカタログ序文には「数学の中の至るところで見いだされるのと同じ遊びの精神」がエッシャー作品にはあると記されているそうだ(『ミラクル エッシャー展』図録 p.20)。確かに《空と水》(1938年、出品番号131)や《昼と夜》(1938年、出品番号133)あたりは、鳥や魚が愛らしく描かれており、エッシャーの「遊び」心を感じさせるに十分だ。
しかし、エッシャーの作品世界をよーーく、よーーーーく見てみよう。その作品たちはそれほどキラキラ明るい光に満ちているだろうか。私の目にはどうもそのようには見えない。版画というメディアの特性もあってか、ほとんどの作品は全体的に黒っぽく、画面はそんなに明るさを感じさせない。白黒のコントラストも結構きついので、どちらかというとおどろおどろしい空気を感じ取ってしまう。エッシャーは魔術師というよりもむしろ呪術師だと言いたくなるような雰囲気に満ちているように私には思える。
当のエッシャー本人は「作品の象徴的な解釈を好まなかった」らしい(『ミラクル エッシャー展』図録 p.200)。しかし解釈は鑑賞者の自由だ。だまし絵の天才にだまされないように、以下、あえて作品の象徴的な側面に注目してみよう。
例えば《トカゲモティーフの平面正則分割》(1941年、出品番号125)、《発展I》(1937年、出品番号127)、《発展II》(1939年、出品番号128)などの作品は爬虫類がモチーフとなっている。これらの作品は彼の十八番というべき「正則分割」と呼ばれる手法で、一つのモチーフが繰り返し並列されることで画面が構成されている。この手法はエッシャーが1936年にスペインのアルハンブラ宮殿を訪れ、そのモザイクに見られる幾何学文様の繰り返しに感銘を受けたのを機に、その抽象文様を具象文様に置き換えることによって生まれたものだ。抽象を具象に置き換える際に画家は象徴性の少ないモチーフを選べたはずだが、エッシャーはそのようにしなかった。彼は万人から愛されるモチーフというよりも、どちらかというと好き嫌いが分かれるようなトカゲ・ガ・コウモリなどのモチーフを多く用いている。それは明らかにエッシャーの趣味嗜好の積極的な反映であろうし、であるならば何らかの象徴的意味合いを帯びてしまうのは避けられないだろう。
《発展Ⅱ》1939年
さて、筆者が初めてエッシャー展を見たのは1980年代、小学生の頃だが、その時の印象を振り返ってみると、錯視を起こさせる絵の不思議さに驚きを覚えつつ、その一方で、水が延々と流れ続ける世界(《滝》1961年、出品番号150)や人々が延々と階段を登りつづける/降りつづける世界(《上昇と下降》1960年、出品番号149)を見て無間地獄のようなものを感じ取り、終わりのない世界の救いの無さ、出口の無さに怖さを覚えたものだ。これらの作品ではエッシャーは人間の目のカラクリを逆手に取って絵画空間を自在に操る創造主として、人間や自然を輪廻から逃れられない世界に閉じ込め、同じ動きを無限に繰り返させているのである。これが呪術で無くて何であろうか。
《滝》1961年
また本展のハイライトの一つである約4メートルにも及ぶ大作《メタモルフォーゼII》(1939-40年、出品番号152)の作品解説には「この版画が制作されていたその時に起こった事件に目を向けなければいけない」とあり、「39年6月、彼の父が亡くなり、次年の5月には母が亡くなった。そして同じ月にナチスドイツがフランスとオランダに侵攻している」とある(『ミラクル エッシャー展』図録 p.200)。いやいや、「同じ月」には「フランスとオランダ」どころか、ドイツ軍はエッシャーの住むベルギー・ブリュッセルにも侵攻してきた。オランダ出身のエッシャーは結婚を機に1925年からイタリア・ローマに移り住むが、そこで徐々に台頭してきたファシズムを避けるべく1935年にスイスへ、次いで1937年ベルギーに居を移したが、そこでもドイツ軍の侵攻を受け、1941年にオランダに帰国している。そのような状況下で彼の創作活動は展開されたのであり、そこに立ち込める当時の重い空気を作品の背後に認めないわけにはいかないだろう。
《メタモルフォーゼⅡ》1939-40年
そう見てくると《循環》(1938年、出品番号135)や《出会い》(1944年、出品番号71)で描かれる群像の人間たちはいかにも邪悪な顔つきだったり、いかにも愚かな顔つきだったりするが、これが何らかの寓意で無くて何であろうか。都市生活に埋没し全体主義に翻弄される人間たちの没個性ぶりを思わずにいられないではないか。
《出会い》1944年
いつの世でも芸術作品は純粋に作者の自由な精神の所産たりえないし、どのような作品であれその背後に時代や社会の影響を受けないものはない。
ここまで見てきた通り、私はエッシャー作品を見るとき、造形的にも、社会背景的にも、自由な精神の遊び・解放感・明るさといったキラキラ感よりも、強迫観念症あるいは神経症的な空気を感じ取り、いわば自己救済・鎮魂・慰めといった要素を感じ取ってしまう。
かといって筆者はエッシャーをディスりたいわけではない。ここが大事なところだが、実はエッシャー展に足を運ぶお客さんたちも、キャッチーなサブタイトルとは裏腹に、エッシャー作品の「闇」の部分に無意識のうちに呼応しながら魅了されてしまっているのではなかろうか。そうでないとエッシャー人気が衰えない理由が説明できない。単なる数学的な面白さ、錯視的な面白さだけでは時代を超えてここまでの評価がキープできるとは思えない。人が芸術に感動を覚えるのは光も闇も飲み込むような狂気に触れるときだ。エッシャー作品はキャッチーな入口で人々の関心を誘いつつも、見る人をいつの間にか引きずり込むだけの狂気を孕んでいるのに違いない。
「作品の象徴的な解釈を好まなかった」というエッシャーは、鑑賞者には主に自作の数学的な趣向に目を向けてほしかったのだろうが、それは裏を返せば自作が醸し出してしまっている暗部に深入りしてくれるなというメッセージでもある。この裏メッセージにはエッシャー本人もエッシャー展主催者も意外と無自覚なのかもしれない。これぞだましの神髄ではないか。
つまるところエッシャーがだまし絵の第一人者たる所以は、単に視覚的なカラクリにおいてのみならず、その作品世界に潜む闇から目を逸らさせることにおいてである。私たちは視覚的にだけではなく観念的にもだまされ続けている。これからエッシャー作品を紐解くのに必要なのは認知心理学ではなく精神分析学だ。
ううむ、『ミラクル エッシャー展 』、実にキケン。だまされないで、ダメ、ゼッタイ!!
花田 伸一(はなだ・しんいち)
キュレーター/佐賀大学芸術地域デザイン学部准教授
1972年福岡市生まれ。佐賀市在住。北九州市立美術館、フリーを経て2016年より現職。主な企画『6th北九州ビエンナーレ~ことのはじまり』『千草ホテル中庭PROJECT』『ながさきアートの苗プロジェクト2010 in 伊王島』『街じゅうアート in 北九州2012 ART FOR SHARE』『ちくごアートファーム計画』『槻田アンデパンダンー私たちのスクラップ&ビルド展』。企画協力『第5回福岡アジア美術トリエンナーレ2014』『釜山ビエンナーレ2014特別展』他。