特別展「室町将軍 ―戦乱と美の足利十五代―」
2019/07/13(土) 〜 2019/09/01(日)
09:30 〜 17:00
九州国立博物館
2019/07/31 |
九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開催中の「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」(西日本新聞社など主催)。「主役」の足利家は東国に興り、京都で幕府を開いたが、九州との縁も浅くない。展示品を軸に振り返ってみると-。
観覧者でにぎわう九州国立博物館から北西に徒歩約20分。住宅が点在する四王寺山の山裾を少し上る。山岳寺院「原山」跡と伝わる原遺跡が広がる。巨大な建物遺構が出土し、中世の栄華をしのばせる。
後に室町幕府の初代将軍となる足利尊氏が原山に滞在したのは、1336年2月のこと。鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇を中心とする建武の新政に反旗をひるがえした尊氏は、京都から九州に追われる。多々良浜(福岡市)の戦いで勝利した尊氏は、味方となった少弐氏の拠点がある大宰府に入った。
特別展には重要文化財「足利尊氏御教書(みぎょうしょ)」(京都・石清水八幡宮)が展示されている。大宰府を出発する直前の同年3月、石清水八幡宮に戦勝祈願を依頼した密書だ。上洛(じょうらく)を目指した尊氏は、湊川(兵庫県)の戦いで、後醍醐天皇方の楠木正成らを破り、北朝政権を樹立する。
当時の歴史書「梅松論」には、わずか半月間で尊氏が九州を平定したとの記述がある。「当時、大宰府を押さえれば九州に覇をとなえることができた」(太宰府市教育委員会文化財課の山村信栄係長)。尊氏が九州で基盤を確立したことが、室町幕府成立に大きく寄与したといえる。
尊氏は上洛の途中、尾道(広島県)の浄土寺に立ち寄り、和歌を奉納している。浄土寺に残る重要文化財「観世音法楽和歌」も出品。小林暢善住職は「尊氏は武家の棟梁(とうりょう)として相応の教養があった」とみる。
南北朝の合一で国内に平和が訪れると、3代将軍足利義満は日明貿易を推進した。1401年、明に使節を派遣。このときの副使が博多商人の肥富(こいつみ)だったという。
明から与えられた文書で正規の使節だと確認する「勘合貿易」が始まったのは1404年。義満没後に中断するが、6代将軍義教が再開。戦国時代まで含め計19回の使節派遣があった。展示されている重要文化財の木印「日本国王之印」(山口・毛利博物館)は、義満が明から与えられ、後に失われた金印を、勘合貿易と関わりの深い大内氏が模造したものとみられる。
当時の主要な輸出品の一つが、火薬の原料になる硫黄だった。応仁の乱直後の1468年に派遣された遣明船の記録をまとめた「戊子入明記」(京都・妙智院)には、門司(北九州市)と博多でそれぞれ、硫黄を積み込んだことを記している。「大友氏が豊後で採った硫黄は門司に、薩摩の島津氏が採ったものは博多に集まった」と、九州国立博物館の一瀬智主任研究員。
対馬の宗氏を介した日朝貿易も盛んになった。将軍の使節が使った銅印は失われたが、対馬宗家関係資料に重要文化財の木印「徳有鄰(とくゆうりん)」(九州国立博物館所蔵)が残る。当時の室町将軍印の姿を伝える貴重な史料だ。(根井輝雄)=7月26日 西日本新聞朝刊に掲載=
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