ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち
2019/10/01(火) 〜 2019/11/24(日)
09:30 〜 17:30
福岡市美術館
2019/10/25 |
当時の流行ファッションを身にまとい、日傘をかざす女性の絵を来場者たちが二重三重に囲んでいた。パリのセーヌ川左岸に建つオルセー美術館。クロード・モネの「日傘の女性」をはじめ、印象派の作品を目当てに世界中から観光客が訪れる。人波が途切れない展示室で、来館前に話を聞いた国立美術学校のアリストミン・ベラダ主任学芸員の言葉を思い出した。
「損をしている。もっと評価されていい画家だ」
ギュスターヴ・モロー(1826~1898)の活動時期は印象派の画家と重なる19世紀後半である。19世紀のアカデミズム絵画を否定し、伝統から近代、保守から革新への道を切り開いたとされる印象派とは対照的に、モローはしばしば「異端者」の扱いを受けてきた。今日もなお一般の認知度は段違いだ。
この時代、産業革命によって資本主義や科学技術が発達し、人々の生活も大きく変わった。新たな絵画を目指す印象派は戸外にキャンバスを持ち出し、陽光の中の風景を描いた。
モローは同時代の実利的な価値観や享楽的な都市生活を是とする風潮に反発。目に見える世界を見えるがままに描く印象主義や写実主義の全盛期に巡り合わせながら「目に見えるものは信じない」と語っている。自宅にこもり、歴史画の復権を目指し、反写実主義的で精神性を重んじた作品を守り続けたのである。
◇ ◇
モローの歴史画は時代遅れだったのか。テレビで活躍する評論家で、西洋美術史にも詳しい山田五郎さんは否定する。
「見た目は古いが、実は新しい。私は『見えない絵画革命』と呼んでいる」
モローの作品は聖書や神話の物語を絵解きのように描くのではなく、人間の苦悩や不安、夢想など形のないものを神話などを用いて象徴的に描き出そうとした。数多く描いた「ファム・ファタル(宿命の女)」も表情ではなく、衣装や装飾品などによって登場人物の意志の強さを示した。
「モローは顔にあまり関心を示していません。どれも同じ顔をしています。過剰な欲望や退廃的であることを象徴するために、甘美で豪奢(ごうしゃ)な装飾の描写に力を入れていました」。ギュスターヴ・モロー美術館のマリーセシル・フォレスト館長が解説する。
幻想的な作風は他の歴史画家にない新しさだった。モローが「象徴主義」の先駆とされるゆえんであり、自然の再現や外面的な描写にとらわれず、感情や感性の赴くままに心象を描く20世紀初頭の「表現主義」へとつながるのである。
◇ ◇
モローは現代美術の種をまいた。晩年、国立美術学校の教授に就き、6年間で計217人の弟子を育てた。中にはジョルジュ・ルオーやアンリ・マチスらがいる。明るい色彩や荒々しい筆遣いが特徴の「フォービズム」で20世紀初頭に美術革命を起こした才能たちが、モローの下から誕生した事実は興味深い。
「彼の教育法は革新的だ」と同校のベラダ主任学芸員は語る。他の教授陣が旧来通りデッサンを重視する中で、色彩の重要性を説いた。大家である自分の考えや画風を押しつけず、生徒の可能性を伸ばすことを優先する姿勢も珍しかった。
自身も新しい表現を模索した。その成果として、パレットナイフの痕や油絵の具の色の染みのような抽象作品を生みだした。恋人を失った後に構想した「パルクと死の天使」の荒々しい絵肌は、絵の具を何度も重ねたようなルオーの晩年に見られる表現とも重なる。
世界有数のルオーのコレクションで知られるパナソニック汐留美術館(東京)でルオーとモローの作品を調査した萩原敦子学芸員は「19世紀的な薄塗りで仕上げる画家という認識だったが、絵の具をチューブから直接乗せたような生の質感を残したマチエールにルオーとの共通性を感じた」と振り返る。
神話や聖書の絵に幻想的な世界観と抽象表現をひそませたモロー。古きものと深くつながりながら、新しい未来を紡ぎ出した、まれな画家である。
(佐々木直樹)=10月11日西日本新聞朝刊に掲載=
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