江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2020/07/03 |
新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)以降、いっせいに沈滞化した大規模エンターテインメントを尻目に、累計で160万部を突破する爆発的なヒットを記録したのが、フランスのノーベル賞作家アルベール・カミュによる、その名も『ペスト』だ。SF小説の分野では、スペイン風邪ならぬ「チベットかぜ」に端を発し、やがて生物化学兵器としての本性を剥(む)き出しにした「たかが風邪」が、またたくまに人類を滅亡の淵に追い込む小松左京『復活の日』も、1964年という前回の東京五輪開催の年に書かれたことがあり、話題となっている。小松がのちに世に問う『日本沈没』(1973年)が、あたかも東日本大震災を先取りしたかの描写に満ちていたことと併せ、まさに予言的な作家と呼ぶことができるだろう。
だが、小松が『復活の日』を発表する2年前に生まれ、『日本沈没』の頃に思春期を迎えようとしていた私の世代にとって、ペストと聞いて真っ先に思い浮かべる作品は、日本を代表する恐怖マンガの巨匠、楳図かずおによる代表作のひとつ『漂流教室』のほうなのだ。さらにこの作品は、本連載のタイトル「遮られる世界」とも、たいへん深い関わりを示している。
なぜ漂流なのか。主人公の高松翔が通う大和小学校はある朝、原因不明の大爆発により未来世界に飛ばされてしまう。だが、そこは人類が滅亡したあとの生命の糧が枯れ果てた希望なき世界だった。頼りになるはずの大人が理性を保てず、発狂して殺人鬼となり、生徒が一人またひとりと命を落としていくなか、突如としてペストが発生する。狭い学校の敷地に閉じ込められ、なすすべもなく黒い死の斑点を肌にあらわに倒れていく級友たち。やがて翔も罹患(りかん)し、絶望の果てで、時間も空間も遠く彼方(かなた)に引き離された母に、届くはずもない特効薬を懇願する。
しかし、それが翔たちのところに届くのだ。周囲から絶望視され、爆発で全員死亡したと安易に片付けられるなか、ひとり翔たちは死んでいないと絶対に望みを捨てない母が、精神に異常をきたしたと疎まれながらも、未来世界の地下室に残されていたミイラのからだを通じて、遠隔で漂流する教室につながる道筋を発見したのである。
私がこの『漂流教室』に、現行のパンデミック下でのリアルさを感じるのは、なにも世代的な背景だけではない。というのは、いま少しだけ触れたとおり、本作は致死性の感染症の爆発的拡大の恐ろしさを予言的に描いただけではない。そのような状況下で、遠隔通信がきわめて重要な意味をなすことを取り上げた点で、作者の楳図かずおの先見性には、きわめて特異で、なおかつ示唆に富むものがある。
むろん、この作品が書かれた時代には、現在のようなインターネットによるリモート技術や宅配便はまったく存在していない。せいぜいが電話くらいだ。にもかかわらず作者の楳図は、空間的に距離を置くだけでなく、時間的にも遠く引き離された場所との生々しいやりとりを描くことで、当時のメディアを遥(はる)かに超えた遠隔通信のヴィジョンを提示している。
それだけではない。はたして「学校」は安全なのか、断念してわずかでも「帰宅」の可能性を探るべきか--そして授業ができないなか、どうやって学習や成長は可能かを争点とした点で、『漂流教室』は、パンデミック下での学校のあり方や「ステイ・ホーム」の是非を先取りしていた。(椹木野衣)
=7月2日付西日本新聞朝刊に掲載=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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