江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2022/02/17 |
暦は早くも2月に入ったが、オミクロン株の猛威は依然、沈静化する気配がない。東京では1日の感染者数が1万人台から2万人台を記録する日が増え、いよいよ身近なところでも感染の事例を聞くことが増えてきた。けれども他方で、感染者数がさらに加速し、これまでにも増して爆発的となる様子もない。少なくとも欧米とは明らかに桁が違っている。
だいぶ前のことになるが、この連載でも、感染の連鎖が国内ではある水準で留まる傾向にあることの背景として、日本列島に棲(す)む者に身についた衛生観念を挙げた。もちろん実証された話ではない。たんに検査数が追いついていないだけという説も有力だ。しかしそれでもなお、日本では親愛の情を示すため気易(きやす)く他人同士で抱き合ったりすることはためらわれてきたし、きれいな水で手を洗ったり口をすすいだりするのは、奨励されるというより、進んで行われてきた。
先に衛生観念と書いたが、それらはもしかすると、たんに清潔好きというのではなく、細菌やウイルスによる感染やまん延を極力避けるための、生活の知恵だったのではないかと最近、そう思うようになった。
たとえば先頃、都心の最寄りの神社で「どんど焼き」をやるというので、元旦の松飾りなどを焚いてもらおうと久しぶりに境内へと足を運んだ。すると想像していたよりもずっと多くの人が集まっていて、地元の消防団の立ち合いのもと、すでに赤い火が立ち昇り始めていた。もともとどんど焼きは、一年の無病息災を祈念する神事だが、目の前の火を囲んで見た目以上に強い熱に身を当てていると、ここには単なる行事に留まらない、具体的な感染症対策が秘められていたのではないかと感じた。
実際、火は身の回りのものに付着した細菌やウイルスを消毒用アルコールの比ではなく滅却する。また、一年でもっとも寒い時期に火に当たって体を内から温めるのは、免疫力を高める効果もあるはずだ。欧米ではシャワーで済ますところを、風呂にゆっくり身を浸して体を芯から温めたり、冬場に炬燵(こたつ)に入って積み上げたみかんでビタミンCを補給するのも、よく似たことかもしれない。
そんなことを考えながら鳥居の付近に新設された手水(ちょうず)に目を向けると、こんな文言が手にした印刷物に記されているのに気づいた(『ひいかわ』第19号)
「『手水』の始まりは3世紀(西暦250年頃)の古墳時代、国民の半数以上が死亡する疫病が流行したことを深く悲しんだ第10代崇神(すじん)天皇が(中略)神社に手水舎を設置し『手を洗い身を浄めること』を推奨しました。そしてこれが日本人が手を洗う習慣の始まりとも伝えられています」
史実なら、やはり手水も、衛生観念というより感染症対策であった可能性があることになる。もしかしたら、いまの私たちに必要なのは「新しい生活様式」ではなく、「古臭い生活様式」なのではないか。そしてアートに引き寄せて言えば、「古臭い生活様式」にもとづく新しい表現なのではあるまいか。
ところが、疫病を退散させるはずの火の手は思いのほか勢いが強く、付近から通報があったのか、消防署が様子を見にやってくるに至った。「伝統的な行事でも、こういう世の中ですから……」と注意の声が聞こえてくる。いやむしろ、こういう世の中だからこそ、伝統的な行事の実効性を回復するときでは、と逆に心の中で思ったのだが。(椹木野衣)
=(2月10日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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