江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2022/10/07 |
2011年に東日本大震災の影響から福島県で起きた東京電力福島第1原子力発電所メルトダウン事故による放射性物質の拡散で、長期にわたり「帰還困難」とされている双葉町の一部がこの夏、避難指示を解除された(放射線量が地上1メートルで3・8マイクロシーベルト毎時以下、およびインフラの復旧整備など)。
この「帰還困難区域」内で15年から始まった国際現代美術展が「Don't Follow the Wind」(風を追うな)である。この区域は高い放射線量によりバリケードで各所が封鎖され、立ち入るには特別な許可が必要となる。つまりこの展覧会は、スタートしたものの、実に7年にわたって「見に行くことができない展覧会」のまま昼夜ノンストップで継続され続けていた。だが、今回の避難指示解除によって、住民の帰還=居住が可能となり、誰もが立ち入ることができるようになったため、これに伴い一部の展示会場も「見に行く」ことが可能になった。その最初の一般公開が今月から期間限定で実施される。
実は私はこの終わりの見えないプロジェクトの実行委員ということもあり、その内容について詳しく論評する立場にはない。だが、この間想像もしなかったようなことがいくつも起きた。その最たるものが世界的な規模のウイルス汚染、コロナ・パンデミックであることは言うまでもない。
当初、許可を得てこの区域内で作品の設置、メンテナンス、記録などを行っていた頃、私たちは例外なく白い防護服に身を包み、マスクや手袋は必須のものであった。一部の区域では依然としてそのことにかわりはない。だが、コロナ・パンデミックにより、防護服やマスクは外部からの放射性物質の体内への取り込みを防ぐというだけでなく、体内から放出されているかもしれないウイルスを外に出さないための封じ込めの装備となった。帰還困難区域は、言ってみれば拡散された放射性物質を封じ込めるための策定だったわけだが、コロナ・パンデミックによって、今度は一人ひとりの身体が、ウイルスを封じ込めるための防護――あえて言えば「接触困難区域」――を抱えるようになったのだ。
なかでももっとも気を使うのが人の呼吸である。ウイルスは会話などによる飛沫(ひまつ)に乗って感染を広げる。そのベースとなるのが呼吸である。ところが、偶然にも「Wind」(風)にも「呼吸」の意味があったのだ。それだけではない。日本では「風邪を引く」というように、風邪そのもののなかに「風=Wind」が含み込まれていた。つまり「Don't Follow the Wind」とは、コロナ・パンデミック下で読み替えるなら、「息を避けろ」もしくは「風邪を引くな」という意味を含んでいたことになる。偶然とは言え、興味深い符号ではある。
だが、それは果たして偶然なのだろうか。もともとこの展覧会がそう名付けられたのは、放射性物質が風に乗って移動するからであった。緊急時に被ばくを避けるなら、風下に向かうしかない。だが、いま私たちもまた、感染のリスクを避けるなら人の息や呼吸に対して「風下」にいるのが安全とされる。つまり、原発事故やウイルス感染が実際に起きうる世界では、風がたいへん大きな意味を持っている。さらに話を敷衍(ふえん)すれば、台風のような大規模災害が増えていることも「風を追うな」の範疇(はんちゅう)で捉えられるかもしれない。風は私たちの行く末を決定づける特別に大きな鍵となったのだ。(椹木野衣)
=(10月6日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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