江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2022/11/21 |
このところ全国でふたたび新型コロナ感染者数が増え続けている。いま、つい「ふたたび」と書いてしまったが、今回の増加は第8波の入り口と捉えられているので、正しくはふたたびどころか三たび、四たび、五たびさえ超えて、読み方も書き方も判然としない繰り返しとなっている。一方で、以前のような観光をはじめとする人々の行動制限や飲食店への営業自粛の働きかけなどがなされる気配はない。これから気温が一段と低くなり、まめな換気が難しくなれば、感染はさらに拡大する恐れが高い。加えてこれまでのような抑制のない年末のクリスマスや忘年会シーズンへと突入すれば、素のままの「ウイズ・コロナ」が実現してしまうことになりかねない。
しかし、考えてみれば去年も一昨年も私はこの場で似たようなことを書いた覚えがある。もしかすると、ウイズ・コロナとは一種の健忘的な症例をもたらすのかもしれない。過去の想起が不全になるということでいえば、私はこのところずっと「忘却と反復」をキーワードに美術批評を書き継いできた。それはコロナ・パンデミックよりもずっと前から、時を辿(たど)れば、戦後最大の災禍と呼ぶべき阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が年初から相次いで起きた1995年にまでさかのぼる。この過去になく「悪い年」は、実に、わたしたちがバブルの余韻のなかですっかり忘れていた戦後の焼け跡から、ちょうど50年にあたる年でもあったのだ。私は、この悪い年の特性から、戦後日本の前衛美術も同様に記憶が忘却と反復、つまりリセットを繰り返す「悪い場所」のなかから出られずにいる、とした。
その後、この考えは2011年の東日本大震災と福島第1原発事故を経て、巨大な自然災害を繰り返す――まさしく「天災は忘れた頃にやってくる」――日本列島の地学的な特性と重ね合わされ、巨大な震災をめぐる記憶が忘却と反復を繰り返す悪い場所で、進歩と蓄積にもとづく普遍性を探求する美術はいかにして可能か、という問いへと置き換えられた。
だが、どうやら私はいま一度、この問いを刷新しなければならない時期に来ているようだ。コロナ・パンデミックという状況もまた、「波」というかたちを取って際限なく忘却と反復を繰り返す「悪い場所」に違いはないからだ。だが、今回はそのスケールが格段に異なる。
第一に、今回のウイルス感染症による「忘却と反復」は、日本列島の次元を超えている。まさしく地球全体が忘却と反復を繰り返す悪い場所そのものと化しつつある。そして、それはコロナ・パンデミックのなかで起きるだけでなく、仮に収束してなお、人類が文明のグローバライゼーションを手放さない限り、何度でも到来する恐れのある次なるパンデミック、そしてそのあとのパンデミック、さらにそのあとのパンデミックというより大きな時間の尺度のなかでも繰り返されるかもしれない。
そうなっていったとき、21世紀初頭の美術史は、いったいどのように書き換えられていくことになるだろう。なんとなれば、現代美術やアートの源泉ともいうべき20世紀初頭に起きた巨大なパンデミック(いわゆるスペイン風邪)がもたらした美術への多大な影でさえ、わたしたちはつい最近まですっかり忘れていたのだ。(椹木野衣)
=(11月17日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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