江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2023/02/09 |
去る2022年、年の瀬も押し迫った12月の末、建築家の磯崎新が亡くなった。いや、わたしは磯崎のことを「建築家」とは考えていなかった。磯崎の思索がそうした一職業の枠を遥(はる)かに超えて思想家、文明史家の次元に達していたというのもあるが、ここでは、故人の言葉を借りてあえて「反建築家」と呼びたい。というのも、磯崎は建築をまるで「災害」や「疫病」のように捉えていたからだ。このように書くと穏やかではないが、磯崎の考える「建築」には、災害が持つ突発性や疫病の特徴である連鎖性が、確かに備わっていた。
磯崎については本連載でも開始当初、かつて彼が提示した「21世紀型オリンピックのための博多湾モデル」について書いたことがある。幻となった福岡オリンピック案として知られるが、それをこの場で取り上げたのは、主たる競技施設を主催する都市の中心部から離して海上の博多湾に設けた背景に、21世紀という時代が、突発し連鎖するテロに対しどのように向き合うか、という磯崎の見立てがあったからだった。
いまや21世紀はテロというより疫病と戦争の時代となりつつある。だが、観客の大量動員や収容人数よりも、都心からの物理的な隔離性と、通信技術を駆使したオンラインによる中継を核に据えた磯崎によるリモート五輪の構想は、あらかじめパンデミックの時代の到来を予告しているかのようだった。
言うまでもなく、その頃はまだオンラインもリモートも、いまのような文脈では使われていなかった。ましてや、五輪のような国家的事業=行事において、オンラインやリモートが主役となる時代が訪れるとは、いったい誰が想像しただろう。けれども、磯崎による幻の五輪モデルは、この意味で、無観客試合やソーシャルメディアによる五輪の遠隔的共有の可能性について、まるで幻視したかのように先取りしていた。
このように、磯崎の建築観には従来の建築を超出し、パンデミックと向き合うだけの通俗的な建築への反建築性があらかじめ備えられていた。そう、私がこの連載でふたたび磯崎の名を召還したのは、故人を追悼するためだけではなく、そのことをあらためて胸に刻んでおきたかったからだ。
もうひとつは、磯崎の死因は新型コロナではなく、それどころか年齢からして天寿をまっとうしたと言うことができるが、しかし、少なくともコロナ・パンデミックの渦中で世を去った偉大な人物のひとりとして後から振り返られるだろうと考えたからだ。
昨年は磯崎だけでなく、すぐには思い浮かべきれないくらい多くの偉大な足跡を残した文化人、芸術家が他界した。いや、昨年だけではない。こうした訃報は今年に入ってからも続いている。パンデミックが宣言されてから、もうすぐ丸3年が経(た)とうとしている。先に昨年は、と書いたけれども、むしろこの3年、と言い換えたほうがよいかもしれない。やはり以前、20世紀最大のパンデミックである「スペイン風邪」で亡くなった数え切れないほどの犠牲者のなかに、多くの芸術家がいたことについて触れたことがある。現在、東京で大規模な展覧会が開催中のエゴン・シーレもそうだった。疫病の犠牲ということではないが、一斉とすら言いたくなる連鎖的な逝去は、はたして今後の文化や芸術にどのような影を落とすのだろうか。(椹木野衣)
=(2月9日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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