江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2019/04/26 |
3月6日の早朝、2019年のプリツカー賞が磯崎新に決まったことをSNSで知り驚いた。87歳の巨匠建築家が受賞することを誰が予測しえたであろうか。もちろん磯崎にその資格がないのではなく、むしろ受賞していない謎に我々(われわれ)が慣れすぎていたからだ。そもそも賞の創設に関わり、草創期の審査員を務め、その任を退いた後はOBのようなスタンスで、自ら距離をおいた観すらあった。ニューヨーク・タイムズのインタビューで「それは墓石の冠のようなもの」と冗談めかした磯崎だが、複雑な思いがあったに違いない。しかし、この遅すぎる受賞によって、逆に賞の意味が問い直され、その価値が増すのではないだろうか。
今回の受賞に際し、磯崎新の60年以上にわたる活動や100を超える建築の中からそのエッセンスを紹介するのが私の役目ではない。私が語りうるとすれば、大分時代の磯崎を取り巻く美術状況や大分県立大分図書館(現アートプラザ)に関すること、すなわち磯崎のアヴァンギャルドな部分についてのささやかな知見である。
大分時代の磯崎は、高校の図書館と県立図書館にある現代美術に関する全ての本を読破し、キムラヤ画材店の倉庫アトリエでデッサンに勤(いそ)しむ早熟な芸術少年だった。勉強が出来すぎて東大に行くしかなく、画家の道を断念せざるを得なかったが、工学部の中で建築という実業の皮を被った芸術を選び、夏休みに帰省するとキムラヤに顔を出し続けた。そこは磯崎が命名した新世紀群というグループが集った場所であり、後にネオ・ダダで活躍する吉村益信、赤瀬川原平、風倉匠らも出入りした。新世紀群は職場のサークル活動の域を出ない集団だが、マニフェストを掲げ、野外展を開催する斬新さでアヴァンギャルドを自認していた。それは磯崎や吉村(武蔵野美学生)など東京の風を送る尖(とが)った若者がいたからであろう。
磯崎の初期の代表作、大分県立大分図書館(1966年)を大分市が整備し複合文化施設アートプラザとしてリニューアル・オープンしたのは1998年のことである。その時私は『ネオ・ダダJAPAN 1958-1998 -磯崎新とホワイトハウスの面々‐』と題された開館記念展の担当として磯崎と仕事をする機会を得た。ネオ・ダダの拠点となった新宿の吉村アトリエは通称ホワイトハウスと呼ばれ、磯崎のプレ処女作でもあった。かつて時代と場所を共有した磯崎とネオ・ダダがアートプラザで再会を果たした。この展覧会では、ネオ・ダダと旧図書館が60年代前半のアヴァンギャルドの季節の中でシンクロし、磯崎のプロセス・プランニング論と創造と破壊を同義とするネオ・ダダの理念が奇妙な符合を見せた。
磯崎の処女作、大分県医師会館をはじめ、岩田学園、大分県立大分図書館、N邸、福岡相互銀行大分支店など大分市は初期の磯崎建築の宝庫であり聖地であった。こうした実験的作品を若き磯崎が思い切って設計できたのも、かつて大友宗麟が西洋文化をいち早く取り入れたように進取の気風が強い土地柄だったからなのだろう。磯崎や前衛が巣立った大分の風土。そして大分県立大分図書館が転生してアートプラザになり、磯崎の建築模型やドローイング、図書資料などが常設展示されている大分市は、磯崎の原点を知るうえで、現在もアヴァンギャルドの聖地なのである。
(すが・あきら=大分市美術館長、国際美術評論家連盟会員)=4月16日 西日本新聞朝刊に掲載=
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