浜田知明回顧展 忘れえぬかたち
2019/04/17(水) 〜 2019/05/26(日)
08:30 〜 17:15
熊本県立美術館
2019/05/19 |
生涯を閉じた芸術家の回顧展は、本人不在だからこそ作品との対話に集中することができ、再発見の機会も増す。昨年7月に100歳で亡くなった版画家・彫刻家の浜田知明といえば、20代に徴兵されて中国に派遣された戦争への批判精神が貫かれた銅版画「初年兵哀歌」シリーズで知られ、反戦の画家というイメージが真っ先に浮かぶ。だが、200点超の作品が並ぶ没後初の大規模回顧展が浮き彫りにしたのは、独創的な造形力だ。
展示は「かたち」に焦点を当て、制作年順ではなく主題や造形によって作品を分類している。表出した造形はいずれも異形と言っていい。特に際立つのが、戦争を主題とした銅版画作品で繰り返し用いてきた膨らんだ胴体と枝のように細長い四肢の人体である。これは戦地で見た光景をちり紙に描いた「中原会戦―関家溝にて 6月」の裸の死体の姿形が基になっており、まさにその異形が戦争の残虐さや不条理さを雄弁に語っている。
主題が戦争だろうと、社会風刺だろうと異形の人体造形は共通している。例えば銅版画「人」(1951年)では胴体にボリュームがあり、手足が長い。ごつごつとした質量のある形から戦う人間の姿が表れている。核兵器の発射スイッチを押そうとする権力者を表現した「ボタン」(88年)は頭部が大きく、3~4頭身のデフォルメした造形。他には手が地面に付きそうなほど長いものも目立つ。そしてほとんどの人物が裸なのも特徴的だ。
異形へのこだわりは、出兵前の東京美術学校(現・東京芸術大)時代にすでに芽生えている。学生時代に描いた「裸婦(未完)」(37年)は細長い顔と極端ななで肩で、写実的な表現を是とする教官の指導への反発が見て取れる。シュールレアリストや抽象画など、最新の美術動向に関心を持っていた浜田が自分なりのフォルムを模索していたことの表れでもある。
展示の終盤には裸の死体のモチーフを使った作品を集めた一角があり、浜田がどれだけこの形にこだわっていたかが分かる。それは創作の鉱脈を見つけて喜び勇んで描いたというより、晩年までこのモチーフを消化しきれないがゆえに繰り返し描いた、もがきのようなものを感じる。
浜田は一貫して戦場で見た裸の死体を超える独自の人体造形を模索していたのではないか。だから作中の人物は裸なのではないか。
そんな想像をしてみる。 人の体を見たままを描くのではなく、自分流に変えて制作することにこだわったはずの浜田が、裸の死体の造形だけは実際に見た光景を基にした。いや、あまりの強烈さに「してしまった」のか。浜田が残した作品は「忘れえぬかたち」を、創作という人智の力で超え、上書きしようと挑んだ格闘の歩みだったのだろう。 (佐々木直樹)=5月15日 西日本新聞朝刊に掲載=
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