江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
西山 健太郎 2018/07/11 |
いまや世界各地のアートフェアに作品が並び、展覧会の企画が相次ぐ、マカオ出身の現代アート作家、シーズン・ラオさんの九州初となる展覧会が2018年4月7日から4月29日まで福岡市中央区赤坂・けやき通りの「ギャラリーモリタ」にて開催されました。
そのオープニングイベントとして開催された同氏のトークショーの様子を編集して、アルトネ読者の皆様にお届けします。
――最初に、ラオさんが写真を撮りはじめたきっかけについて教えていただけますか?
ラオ 私は1987年、マカオに生まれました。そして、1999年、12歳のときにポルトガル領だったマカオが中国に返還され、劇的な「時代の変化」そして「環境の変化」に直面することになります。カジノに象徴される経済的・世俗的な潮流により、その土地に根づいていた西洋と中国とが共存する独特な文化が次々と消えていきました。最初の作品は、築160年以上の歴史がありながらも再開発のために取り壊しが決まった建物群をテーマに撮影したものです。その建築群の中には私の生家も含まれており、「失われていく風景とアイデンティティーを記録として留めたい」という思いで撮影に臨みました。そして、そのあと予想外のことが起こりました。私の作品がマカオ内外で大きな反響を呼び、作品集とDVDの出版が決定。最終的には、撮影した建物の全てが重要建築物に認定され、取り壊しを免れることになったのです。
――アートが持つ「力強さ」や「しなやかさ」といったものを象徴的に示すエピソードですね。
ラオ まさに「作品には自分でも読めない計り知れない力がある」と確信した瞬間でした。
――現在、ご自身は「写真家」ではなく「現代アート作家」だとおっしゃっていますね。
ラオ 自分を「写真家」ではなく「芸術家」だと感じるようになったきっかけは、北海道を訪れたことでした。マカオがのどかな漁村だった頃の面影を求め、2009年に世界各国の小さな町を訪ね歩くなかで辿り着いたのが北海道の伊達市。近くに有珠山という火山があり「人と自然が調和し、生き物と共存する」。そこには、そんな人々の暮らしがありました。かつて炭坑として栄えた廃墟、近代化を支えたエネルギーを供給してきた場所が時代から置き去りにされた風景があり、炭鉱時代に築かれた建物が雪に抱かれている光景は、経済を追求する人間たちの喧騒が去った後の静寂、浄化、安寧を感じさせてくれました。そうしたなか、2011年3月11日、東日本大震災を経験しました。次世代のエネルギーを担うはずだった原子力発電所の事故を北海道に移住して間もない時期に体験したことが、あらためて「芸術の力」を信じることに繋がりました。そのようにして、北海道を作品の制作拠点として、作品を通じて人と自然との関わり方を絶えず追い求めていく、という心構えで芸術家としての道に集中していきました。
――ラオさんが考える「写真家」と「芸術家」の違いは、どのようなところにあるのでしょうか?
ラオ 写真が現実世界を映す他のメディアと違うのは「一瞬を切り取る」ということ、いわば場所と時間の制約があることです。その制約は私の思想や世界観を表現する一つの手段です。そうした意味で、私が手がけているものは「テーマ性」を重視する写真家の作品と違い、「コンセプト」を重要視するコンテンポラリーアートに近いものです。単なる外に向けられている記録ではなく、心の内側に向けられている哲学を持ちながら、自分が感じた気配、その物の「本質」や「想い」といったものを作品で表現したいのです。また、「美しさ」についてのこだわりも強く持っています。
――ラオさんの作品には何とも言えない「温かさ」を感じますね。
ラオ そういう作品のオーラを感じてもらえたら嬉しいです。どんな場所でも歴史があって、過去に存在した様々なものの気配を残しています。私はその過去の歴史を彷彿とさせる気配漂う特定の場所で、現在の静寂を生かして、雪が降っているときに写真を撮ります。そして、私の作品のために特別に作った手漉き紙に写しています。雪の白い部分は水墨画でいうところの「余白」です。現代の都市社会が人間の創り出したモノや情報で溢れ、人々が時間や仕事に追われているのとは対照的に、その「余白」は、人々が過去・現在・未来に思いを巡らせる余裕を与えてくれます。「余白」を創り出すのは楮(こうぞ)という樹木から採取された天然素材繊維の質感と色です。試行錯誤の末に編み出した印刷技術で、墨絵を描いているように、作品に優しさ、柔らかさを加えています。楮の木の皮は繊維が長く丈夫で、実際に、奈良時代に作られた和紙が実存していて、そこに書かれている文字が今も鮮明に保たれています。その紙質は見る人たちの郷愁や憧憬を誘うようで、日本やスイスで撮った風景でも、韓国の人が見たら韓国の風景、中国の人が見たら中国の風景と言われることが多々あります。また、時々日本の人からは「長谷川等伯の水墨画を見ているようだ」と言われることがあります。そういう場面に接するたびに、自然と人とが調和した生き方や文化が互いの交流の中で育まれてきた東アジア文化圏の歴史の深さや繋がりの強さを感じます。
――作品制作にあたって心掛けていることはありますか?
ラオ 私の作品の精神性は「人と自然の共存を模索すること」です。現代のグローバルな金融資本主義は自然を大切にしないどころか、経済成長とともに様々な社会問題を引き起こしています。はたして現代人は自然と共存できているのでしょうか? 逆に、近代化がまだ進んでいなかった時代、古来において東アジアは自然と人間の調和を目指す考え方が中心でした。例えば、古代中国の道家・老子は無為自然を説きました。禅宗は日本人の自然愛を洗練させたと言われています。私は東アジア古来の哲学を抱きながら、雪景色によって過去と現在が交差するエッセンスを抽出することを心がけています。その場所と哲学を具現化しているのです。「コンセプト」以外、私は作品の「美質と繊細さ」も追求したいと思っています。見る側が見飽きないように、会話できる作品が良い作品だと思います。日本やイタリアは美しさと繊細さがあるものを認めてきました。もしかすると、私がこの二つの国の展示会に参加する機会が多い理由もこのあたりにあるのかもしれません。
――理想とする、あるいは尊敬するアーティストや人物はいらっしゃいますか?
ラオ 直に影響を受けたことがありませんが、フランスの哲学者フェリックス・ガタリ(Pierre-Félix Guattari)の提唱した「エコゾフィー」という理念には共感を覚えます。これは彼が創作した「環境=生態学的哲学」という意味の造語で、自然環境と社会と人間の心の3つのエコロジーの統合という視点を提示したものです。これらの自然観・世界観は私の芸術活動に大きな影響を与えてくれています。
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