江口寿史展
EGUCHI in ASIA
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福岡アジア美術館
2020/07/17 |
新型コロナウイルスについて考えるため、私たちが改めて呼び出した過去の大規模な感染症は、もっぱら中世のペストと20世紀初めのスペイン風邪だった。私自身も本連載も、その例に漏れるものではない。だが、もっとも近い過去に属する世界的な感染症のうち、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)のことを耳にする比率に比べ、AIDS=エイズ(後天性免疫不全症候群)についてあまり語られないように思うのは、どうしてだろうか。
エイズの出現は、いろいろな意味で衝撃だった。その起源については他の新型ウイルスの同様、諸説があるようだが、初期の死者が報告されたのは、1980年代、アメリカでのことであった。当時、まだ病原体であるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)が同定されておらず、犠牲者に同性愛者や麻薬の常用者が目立ったことから、臆測と偏見により、不道徳に対する神の天罰とあからさまに責められることさえあった。また日本では、ウイルスの不活性化のための熱処理を行わなかった血液製剤により、多数の感染者や犠牲者を出した薬害エイズ事件のことを忘れることはできない。
エイズは、いま血液について触れたように、主に体液と傷ついた皮膚や粘膜との直接的な接触を通じて感染するため、新型コロナウイルス感染症のような飛沫による爆発的な感染力こそ持たなかった。だが、人の免疫細胞に進入してその機能を破壊し、外部から侵入する異分子への抵抗力をほとんど失わせてしまうエイズは、ひとたび発症すれば手の施しようがなく、やがて訪れる死へと確実に直結する恐ろしい病であった。現在でこそ症状の進行を抑える効果的な治療薬が開発されているものの、有効なワクチンはいまだに開発されていない。全陽性者数は2018年の時点で3790万人に達し、そのうち新規感染者は180万人とされ、大きな話題になることこそ減ったものの、いまなお増え続けている。
けれども、私自身が美術批評家としての活動を始めてまもない1990年代の初頭に、世界的なパニックに近い反応を巻き起こしたエイズの持つ意味について、社会だけでなく、文化・芸術の側面からも批評することを迫られたその切迫の度合いは、のちのSARSやMERSの比ではなかった。その点では、直近の新型コロナウイルス感染症によるパンデミックがそうであるのと同様、エイズは確かに、文化・芸術の問題系と深く結びついていた。そこからも、過去の大規模感染症の事例のうち、ペストやスペイン風邪と並んで、場合によってはそれ以上に、大きな参照源となるはずなのだ。
もっとも、エイズによる文化的なインパクトは、なにより犠牲者の特別な「名簿」によるところが大きい。ハリウッド俳優のロック・ハドソンやロック歌手のフレディ・マーキュリーをはじめとして、思想家のミシェル・フーコー、美術界ではキース・ヘリングやロバート・メイプルソープといった一世を風靡(ふうび)したスターから、デレク・ジャーマン、デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ、フェリックス・ゴンザレス=トレスら、アンダーグラウンドで絶大な影響力を持つアーティストが次々に倒れていった。日本でもダムタイプの中心人物であった古橋悌二がエイズによる合併症で命を落としている。
彼らが死んでいったのは、その生き方によるものではない。ウイルスこそが彼らから命を奪ったのだ。同様に、私たちはいま「夜の街」という呼称に最大限の注意を払わなければならない。(椹木野衣)
=7月16日付西日本新聞朝刊に掲載=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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