江口寿史展
EGUCHI in ASIA
2024/11/09(土) 〜 2025/01/12(日)
福岡アジア美術館
2020/10/09 |
瀬戸内に浮かぶ離島、香川県の大島にある国立ハンセン病療養所・大島青松園に、かつて政石蒙(まさいしもう)(2009年没)と呼ばれた歌人が入所していたことを知ったのは、この島を会場のひとつとする「瀬戸内国際芸術祭2016」を通じてのことだった。展示のために参加したアーティストの山川冬樹が、発表の手がかりに島と自分との繋(つな)がりはないものかと懸命に探しているなかで、ほとんど運命的に巡り合ったのが政石だった。
その結果、生まれた山川の作品について今回、具体的に触れる余裕がないのは残念だが、その政石が隔離された島でかつて詠んだ歌の数々は、新型コロナウイルスによって遮られた世界について考えるうえで、大きな示唆を含んでいる。
その前に政石について簡単に紹介していく。愛媛県松野町に生まれた政石は、従軍していた満州での敗戦後、モンゴルでの抑留中にハンセン病であることが発覚。捕虜のなかで一人だけ、さらに別の箇所に距離を置いて小屋に隔離されるという過酷極まりない境遇を強いられた。代表作のひとつ『花までの距離』(1979年)は、復員して1年後に大島青松園に入所してから本格的に詠み始めた短歌のうち、その頃の二重の抑留体験を、自在な筆致で随筆をまじえ回顧した私家版の1冊だ。
故郷から遠く離れたモンゴルで、さらに隔離された政石は、古煉瓦(れんが)を並べて作られた境界線から出ることを固く禁じられた。周囲にひと気はまったくなく、訪れてくるのは朝夕に監視のためにやってくる係の者が一人のみ。日中は、春を迎えると見渡す草原を思うがままに駆け、気ままに寝そべる家畜たちを眺め、いますぐ牛や馬に生まれ変わりたいと羨望(せんぼう)した。
書名の「花までの距離」とは、その頃、政石が境界線のすぐ外に咲いているのを見つけた、虹色に輝く美しい花との幻想的な語らいに由来する。政石はすぐにでもその花を手に入れたかったけれども、「コノ線ヨリ絶対ニ出ルベカラズ」と強いられた境界線が邪魔して、どうしてもそれができない。やがて花は、その禁断を踏み越えよと政石を妖しく誘惑し始める。とうとう政石は当番の医師に頼み込み、古煉瓦を少しだけ移動する許しを得て、目的の花を手に入れる。
ところがどうしたことだろう。その途端、花はかつての輝きを失い、前のように親しげに語らってくることもなくなってしまった。そしてその時、政石は自分を世界から遮る鎖が、古煉瓦で組まれた境界線などとは比べものにならないほど強靭(きょうじん)で、到底変えがたいものであることを思い知らされたのだ。
新型コロナウイルスで世界中に張り巡らされた境界線は、政石のように極限的な隔離を体験した者と比べた時、ものの数ではないと思われるかもしれない。けれども、政石による「花までの距離」は、私たちを遮る「新しい生活様式」の要となる「ソーシャル・ディスタンス」が、決して物理的な距離に留(とど)まらない、感染した者への偏見まで含めた根深いものかもしれないことについて、あらためて教えてくれる。
ハンセン病癒ゆるとも人に非(あら)ずとふ投書を前に何をか言はむ
政石が詠んだ歌には、いつもどこかで「花までの距離」が折り込まれている。この距離(ディスタンス)は、決して過去のものでも他人事(ひとごと)でもない。隔離が当たり前になった世界でこそ、人との距離とはなにかについて真剣に考えなければならない。(椹木野衣)
=(10月8日付西日本新聞朝刊に掲載)=
椹木野衣(さわらぎ・のい)
美術評論家、多摩美術大教授。1962年埼玉県生まれ。同志社大卒。著書に「日本・現代・美術」「反アート入門」「後美術論」「震美術論」など。
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