特別企画展 「 ベトナム、記憶の風景 」展
2025/09/13(土) 〜 2025/11/09(日)
09:30 〜 18:00
福岡アジア美術館
| 2025/10/31 |
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福岡アジア美術館では、現在、ベトナム戦争終結50周年を記念した展覧会「ベトナム、記憶の風景」が開催されています(~11/9)。本展覧会を企画した学芸員3名がそれぞれの視点から展覧会の魅力をご紹介します。
第2弾は、本展企画チームの嶋津ほのか(福岡アジア美術館)が、出品作品のうち女性が描かれた作品に着目し、ベトナムと女性の歴史を読み解きます。
「学芸員コラム① いま、ベトナム激動の歴史を「記憶」から見つめること」はこちら
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すらりとしたアオザイ姿のたおやかな黒髪美人―「ベトナム」と聞いてこのような女性を思い浮かべる人は少なくはないでしょう。現在見られる深いスリットの入ったスリムなアオザイは、1930年代に改良されて成立したスタイルであり、私たちが抱くベトナム女性のイメージの一端は、おおよそ100年前にそのルーツを求めることができます。
実は、ベトナムでは10月20日は「女性の日」。そこで今回は女性の日にちなみ、「ベトナム、記憶の風景」出品作品110点の中から、アオザイをはじめとするベトナムの女性像が近代以降どのように描かれてきたかをたどってみましょう。
前近代のベトナムにおいて、いわゆる「美人画」―美しい女性を主題にした絵画のジャンルはあまり盛んではありませんでした。フランスによる植民地支配が始まり、西洋美術の影響を受ける以前のベトナム美術は、寺院や宮廷の装飾、工芸など職人的な制作が中心であり、儒教的価値観もあいまって「女性を主題に絵画を描く」という伝統はほとんど発展していなかったのです。
西洋式の美術教育は1925年にハノイに設立されたインドシナ美術学校により本格的に導入されました。これにより、ヨーロッパでは一般的であった「女性を主題とする美術」の伝統がベトナムにもたらされたことで、ベトナム女性を題材にした作品、すなわち「美人画」が制作されるようになります。
《美人画をみる女性》では、赤いアオザイを身にまとう黒髪の女性が、中国風の美人画を見つめています。ここで描かれるスリムなアオザイは、制作当時の1930年代においては都会的でモダンな衣服の象徴でした。つまり本作は、一枚の画面の中に、前近代の中国風の美人画と近代的な「モダンガール」が相まみえる、時代の変化を表現した作品といえます。
この時代、アオザイ姿の女性像は多くの画家に好まれて描かれ、やがて「ベトナム美人」の典型として定着していきました。その背景には、宗主国フランスのまなざしのもとでアオザイの女性が「エキゾチックな東洋の美」の象徴として消費された、植民地主義的な欲望の構図も指摘できるでしょう。
一方で、植民地下で変わりゆく都市を中心に流行していたアオザイは、ベトナム人にとって新しい時代の都市文化の象徴でもありました。とりわけ植民地支配のもとで西洋の技法を学ぶ芸術家たちにとって、民族衣装を描くことは自らの文化的アイデンティティを探求する手段であり、アオザイ女性はベトナム独自の美を表現する重要なモチーフとなったのです。
このように、近代初期に描かれたアオザイの女性像には、宗主国によるエキゾチックなまなざし、モダンな都市の象徴、そして民族的アイデンティティの創出という、相反しながらも重なり合う三つの視点が共存していたのです。
優美なアオザイをまとうモダンガールが都市文化の象徴として描かれた一方で、植民地期の社会構造は厳しく、多くの女性が貧困や労働搾取に直面していました。こうした現実を背景に、抗仏・抗米戦争期には数多くの女性が銃後の守りや戦闘員に従事し、民族解放運動と女性の社会的役割拡大は密接に結びついていきました。ベトナム女性連合会は1930年10月20日に結成され(この日はのちにベトナム女性の日となりました)戦時における女性の組織的動員と支援に関与していきます。
抗仏・抗米戦争期、美術は国家イデオロギーの道具としての役割を強め、女性像もプロパガンダの文脈で再構築されました。なかでも1970年代の北ベトナムでは、戦意高揚のために多くのプロパガンダポスターが制作されます。戦争の痛みに満ちた状況下にあっても、ポスターには精悍な表情や笑顔をたたえた人物が描かれ、勇ましく戦う男性だけでなく、ライフルを手に戦う女性兵士、畑で働く女性、あるいは子や夫を送り出す母親など、さまざまな女性像が頻繁に登場しました。これにより、女性像は「戦う女性」「勤勉な労働者」「祖国の母」といった社会主義思想に基づく理想の姿で描かれ、また南北統一後には、平和や復興の理想を表現する手段としても女性像が用いられるようになりました。
とくに母親のイメージは、強い政治的意味を持ちました。戦争で子や夫を失った母親は「英雄の母」として国家から顕彰される制度が戦後に設けられ、こうした称号や顕彰のあり方は、母性を国家奉仕と結びつける役割を果たしました。
長きにわたる戦争とプロパガンダによって作り上げられた勤勉な労働者としての姿は、戦後においても理想の市民像でした。戦後に描かれた《洗濯工場》に登場する、ズボンをはいて労働に勤しむ女性の姿は、社会主義国家における理想の女性の姿として描かれています。
しかし1986年のドイモイ(刷新)政策以降、国家統制の緩和と外来文化の流入が進み、社会のみならず芸術表現にも大きな変化がもたらされました。社会主義的な理想や、プロパガンダ表現などの定型的な表現よりも、芸術家個人の表現が追求されるようになり、個人の感情や身体の記憶を主題とするようになります。また女性芸術家自身による表現が行われるようになり、これまで理想や象徴性を仮託されていた女性像の表現は、大きな転換を迎え、ここにベトナムの現代美術が大きく展開していくことになるのです。
ハン・ティ・ファムは、ベトナム戦争終結前の1975年に、ボート・ピープルとしてアメリカへのがれた作家。《であるということは》は、自らが被写体となって、セッティングされた情景の中に登場するという演劇的に演出された作品です。勇ましい兵士、アオザイ、星条旗など、さまざまなモチーフを用いて、ベトナム戦争のトラウマ的な記憶や、ベトナムに対する人種的・ジェンダー的ステレオタイプへの抵抗を、自らの身体で表現しています。
チュオン・タンは、90年代にパフォーマンスなどを通じて、プロパガンダや社会主義的な表現が主流のベトナム美術に対して反旗を翻した先駆的アーティスト。彼の作品《平和の母》では、迷彩布でできた女性像に「平和」の題を冠することで、戦時に語られた「平和のための戦争」の言葉の空虚さを物語ります。また、戦時のプロパガンダ表現において、「母」のイメージが祖国統一の理想のために掲げられた一方で、子どもたちを失い英雄として顕彰された「英雄の母」のその痛みに満ちた現実も想起させます。
およそ100年にわたるベトナムの近現代美術史において、アオザイ女性の優美さや戦時の勤勉な女性像は、ベトナム社会における理想と象徴として描かれ続けてきました。近代の美の象徴、戦う戦時の姿、社会主義的理想市民、そして今日の個人表現へと変遷する女性像は、時代と社会の多層的な記憶を映す鏡です。移り変わる理想と現実のベトナムの姿を、是非本展を通じて体験してみてください。
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