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福岡アジア美術館特別展「ベトナム、記憶の風景」学芸員コラム③  ベトナムと絵画の保存修復

2025/11/15 LINE はてなブックマーク facebook Twitter

 ベトナム戦争終結50周年を記念した展覧会「ベトナム、記憶の風景」。福岡アジア美術館での会期を終え、本展は11/22(土)から沖縄県立博物館・美術館に巡回します。本展覧会を企画した学芸員3名がそれぞれの視点から展覧会の魅力をご紹介します。
 第3弾は、三谷文化芸術保護情報発信事業財団の学芸員益田ひかるが、本展特設コーナーで紹介される「ベトナム絹絵画家グエン・ファン・チャン絵画保存修復プロジェクト」、および本プロジェクトによって修復された作品を取り上げ、本プロジェクトの沿革とこれを支えた人々の思いを綴ります。
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 「ベトナム、記憶の風景」展では、日本とベトナムの間で約16年をかけた保存修復プロジェクトを、特設コーナーでご紹介しています。展覧会の第1章、第2章でも紹介されているベトナム絹絵のパイオニア、グエン・ファン・チャン(1892-1984)の作品を長年にわたり修復した成果です。
 本コーナーの背景として、3回目のコラムでは、今日までの保存修復プロジェクトの経緯をご紹介します。

グエン・ファン・チャン《籾(もみ)篩(ふるい)》1960年、水彩・絹、作家遺族蔵
本プロジェクトで保存修復を行った作品のひとつ。米のもみ殻を自然の風を利用して振り分け、内側の実だけを取り出す樅篩の作業風景が描かれる。穏やかな日常の光景であるとともに、稲作が古くから人々の暮らしを支えてきたベトナムにおいて、黄金色に輝くようなもみ粒は、何よりも尊い希望の象徴でもあった

 グエン・ファン・チャンの絵画保存修復プロジェクトは、彼の絵に強烈に胸を打たれた中村勤氏というある日本人が、グエン・ファン・チャンの他の作品を探し求めたことから始まりました。中村氏は、作家の出身国であるベトナムの美術館、そして作家の作品を日本で所蔵する福岡アジア美術館などを訪ね歩き、ついに作家の遺族に辿り着きます。その際、美術館のように整えられた環境ではない厳しい境遇で遺された作品に出会います。この遺族との交流を続ける中で遺族の思いを汲み取り、グエン・ファン・チャンの貴重な作品を未来に繋ぐべく保存・修復を決意したことが本プロジェクトの始まりです。

 グエン・ファン・チャンの作品は人々の日常を描いた穏やかな作風が特徴ですが、インドシナ戦争やベトナム戦争をはじめ長く続いた戦禍のもと痛ましいほどに傷つき、遺族もまた胸を痛めていました。物質として遺される絵画は、人の手によって保存され続けますが、携わる人自身の考え方に翻弄されます。国を移動したり、倉庫に放置されたり、これは美術作品に限らず、形のあるもの、ないものすべて人間の影響を受け続けます。そのような未来の不確かな人間の行動から、作品を守り、遺してゆくにはどうすればよいか。これは普遍的な問題ではありますが、特に美術作品の保存修復の環境が必ずしも十分ではないベトナムにおいて、遺族の悩みは深刻でした。
 中村氏は飛び込みでさまざまな研究者、美術館にアプローチし、修復家の岩井希久子氏に辿り着きました。しかし、個人の力ではこの修復保存費用を賄えないと、支援してもらう企業を探して回り、最終的に三谷産業株式会社の当時の会長、三谷充が支援を決めました。そこから保存修復プロジェクトが具体的に始まっていったのです。

 現在においても、日本国内でベトナム美術自体を鑑賞する機会が少なく、さらにベトナム美術史の流れの中でグエン・ファン・チャンの作品の位置づけを視覚的に体感する機会も乏しい状況です。2009年から2023年にかけて14年にわたり本プロジェクトで保存修復を行った16点の作品が、本展で作家と同じ時代に生きたベトナムの美術家の作品や、後の世代の美術家たちの作品と並ぶことは、本プロジェクトおよび修復作品を新たな視座から見つめるまたとない機会となっています。

特設コーナー展示風景(福岡アジア美術館)

 グエン・ファン・チャンは、1920年代の近代初頭から登場し、1970年代激化するベトナム戦争の真っただ中まで活動した画家の一人でした。画業が安定しないなか描き続けた作品や、アメリカからの北爆の最中防空壕の中で描き続けたという作品などが多く残っています。直接的に凄惨で暴力的な描写はなく、あくまでもひたむきにたくましく生きる女性や子どもなど、身近な人々をみつめつづけた作品です。

 沖縄県立博物館・美術館では、同館による特別展示として、ベトナム戦争と同時期の沖縄で制作された沖縄戦後美術が本展の中であわせて紹介される予定です。沖縄はベトナムと同じく戦争による惨禍を経験し、またベトナム戦争中は米軍の後方基地と位置付けられ、否応なくベトナム戦争をめぐる構造の中に巻き込まれました。本プロジェクトが沖縄でも展覧されることは、戦争がもたらす傷と、その中でも懸命に生きた人々の営みを、沖縄とベトナムという両者の共通性を通じて感じられる機会にもなるのではないでしょうか。

 いったいどのような過程を経て、美術作品が眼前にあるのか。昨今、美術展覧会に限らずとも、このような作品の舞台裏にせまるテーマに注目することが増えました。例えば、収蔵庫から会場までの輸送に関すること、学芸員が企画し展示構成を考えることや、作品が展示されていない間の保管に関することです。作品の内容に向き合うことに重きが置かれていたところから、そこにある「もの」として扱われる時にどういった工程を経ているのか。舞台裏という鑑賞者にとって新鮮な側面を見せることで、さまざまな人が関わっていることをより具体性を持って示す試みです。保存修復という活動についても、これまではあまり公に開かれてこなかったことでした。しかし、作品が現存し後世に引き継がれていくためには不可欠な仕事が、そこにはあります。

グエン・ファン・チャン遺族自宅にて(撮影:内田江美子)

 今回の展示では、修復過程についてはあまり言及していませんが、コーナーの付近に、2023年に企画した保存修復プロジェクト展の図録や映像資料を置いています。その中では詳しく、当初どのような状態であったか、どのような処置を施したかがわかります。そして、近づいて作品を見てみると、おびただしいほどの傷や痕跡が見えてくると思います。保存修復は、作品を真新しい状態に戻すのではなく、作品が受けたダメージをケアしながら、作品に込められた経験や記憶を未来に繋ぐ営みでもあります。作品を通して、修復という作品の裏側にある行為や人々の思いにも触れ、浮かび上がってくるものを感じていただき、作品が「いま、ここにあること」について感じていただければと思います。

(公益財団法人三谷文化芸術保護情報発信事業財団・益田ひかる)

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