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「描く」問い直した軌跡 集団蜘蛛で活動 森山安英さん 北九州市立美術館で回顧展【コラム】

2018/06/22 LINE はてなブックマーク facebook Twitter
銀一色の「アルミナ頌」シリーズが続く展示室。絵画よりもオブジェに近く、物質的な空間が広がる

1970年前後に前衛美術集団「集団蜘蛛(くも)」で活動した画家、森山安英さん(81)=北九州市戸畑区=は集団蜘蛛であらゆる芸術表現を否定した後、15年の沈黙を経て、平面作品から創作を再開した。画業を振り返る初の本格的な回顧展「森山安英 解体と再生」(同市立美術館で7月1日まで開催中)では、色と形を一度は見失った画家が「描く」という行為を問い直し、さまざまな手法で画面を成立させていく過程が見えてくる。「絵画とは何か」と改めて考えさせられた。

真っ白な展示室に入ると、銀一色の連作「アルミナ頌(しょう)」(87~92年頃)が約20点並ぶ。創作再開後に初めて手掛けたシリーズ。画面に銀絵の具を流しただけの作品群は物質的で、絵画というよりオブジェに近い。下地に砂などを混ぜることで表面に凹凸やしわが生まれ、作品は多様な表情を見せるが、「描く」という行為からはほど遠い。
背景には森山さんの心身をむしばんだ集団蜘蛛の活動がある。前衛運動が盛んだった68年、森山さんは北九州で蜘蛛を結成し、過激なハプニング(パフォーマンス)を続けた。イベント会場で汚物を観衆に投げ込んだり、交差点で性行為をしようとしたり。芸術表現の否定を繰り返した結果、デモ中に逮捕され、73年に有罪判決を受けると芸術の世界から距離を置いた。
15年後、ようやく平面作品に向き合ったのは、集団蜘蛛の総括のためだった。


「アルミナ頌」を発表した後、銀一色の作品は徐々に変化し、森山さんは色と形を取り戻していく。
銀絵の具に蜜蝋(みつろう)を混ぜて光の反射を多様にした「光ノ表面トシテノ銀色」は、銀色を際立たせるためのアクセントとして蛍光色も使った。「非在のオブジェ」では、画面に作ったくぼみに絵の具を流し、電球のような形を表現。コンパスで半円形を描いた「レンズの彼岸」では、自然に委ねていた銀絵の具の流れを、自らの筆で誘導した。
その後、何度か絵筆を置こうとしたが、創作を続けてきた。2011年の東日本大震災を機に始めた連作「幸福の容器」は、津波で陸に打ち上げられた漁船がモチーフ。素朴で温かみのある線は自律している。
本展では新しい連作「窓」も初公開した。マスキングテープで窓枠を表し、おおらかな筆致や点描で空間を埋めた。窓の向こうの奥行きを否定するように、ドリルで開けた複数の穴が、森山さんの平面に対するこだわりを感じさせる。
展示の最後に、2枚の具象画がある。窓枠の手前に衣服を描いた絵は、写真家石内都さんが広島の被爆者の遺品を撮影した写真の模写だ。石内写真の美しさに魅せられたという。
森山さんは少年時代、野球選手や女優のブロマイド写真を模写していた。北九州市美の小松健一郎学芸員は、その延長線上に具象画2枚も存在すると考える。 「森山さんは根底では絵が大好きで、疑うことなく描きたかったのだろう」
技術や理屈ではなく、素直に色や形を楽しむ。かつて否定を繰り返した画家は長い沈黙を経て、「絵を描くこと」を問い直した末、純粋な絵心を取り戻したのかもしれない。

石内都さんの写真を模写した「窓 51」の前に立つ森山安英さん。
「石内さんの写真が美しくて、描きたくなった」と語る。

 

●最新作前に 「未完成。絶筆です」 森山さん、歩みと心境を語る
「もう描く必要がなくなりました。これで終わりです」。森山安英さんは本展の開会式でこうあいさつし、最新作の前では「絶筆宣言」も行った。絵画表現を否定し尽くしてもなお描き続けてきた画家に、現在の心境とこれまでの歩みを語ってもらった。
「頭のどこかに(絵画が)あり、投げ出せなかった」。裁判の後、沈黙した時期をこう振り返る。苦しみから逃れるには、集団蜘蛛の活動を、自ら絵画で総括する必要があった。だが、何を描けばいいのか分からなかったという。
ある朝、「銀色の光が降ってきた」。その光景を「アルミナ頌」で形にし、100点ほど作った。森山さんに実感はなかった。
「描いている人は誰やろうと、後から見ている感じだった」
当時、絵画ではないと批判され、逆に「自信につながり、楽になった」。絵を描くことにはなお強いためらいがあった。
それほど集団蜘蛛の活動は破壊的だった。ただ、画家の本能を壊そうとしたのではなく、特権意識を持った画家の存在を否定したかったという。同時代の前衛運動も標的とし、九州派の菊畑茂久馬さん(83)=福岡市=の版画を勝手に複製して売った。2人は仲が悪いわけではない。九州派に誘われたこともある。参加していれば、違う人生を歩んでいたかもしれないが、九州派を拒絶する気持ちもまたあった。
父親は八幡製鉄所で働いていた。鉄鋼業が隆盛を極めた時代。町の発展を支える大企業は人々の憧れだった。鉄鋼業を下支えしたのが産炭地・筑豊。その筑豊を拠点に谷川雁らが刊行した雑誌「サークル村」は、九州派に影響を与えていた。見えない壁を感じた。
「筑豊へのコンプレックスが九州派との関係に影を落とした」
長い沈黙を経てもなお画家を続けた。「幸福の容器」を描き始めた動機は画家の本能だった。東日本大震災の被災地の惨状を目の当たりにして、「描かなければならないと思った」。
震災の前年にがんを患っている。石内都さんの写真を模写した最新作「窓 51」を前に森山さんは言った。「これは未完成。技術的にも体力的にも粘れなかった。絶筆です」
だが、画家の本能が、燃え尽きるまで森山さんを創作へと立ち向かわせる気がしてならない。

●森山安英さんの歩み
1936年 旧八幡市に生まれる
55年 佐賀大に入学
57年 佐賀大を除籍に
桜井孝身さん、菊畑茂久馬さんらが九州派結成
60年頃 九州派の働正さんと知り合う
68年 グループZELLEを結成
まもなく集団蜘蛛と改称する
69年 菊畑さんの盗作版画を発表
70年 福岡・柳川でデモ中に逮捕される
73年 有罪判決を受ける
87年 絵画制作を本格的に再開
88年 個展“アルミナ頌”を開催
91年 「光ノ表面トシテノ銀色」制作(~93年)
97年 「非在のオブジェ」制作(~98、2001年)
99年 「レンズの彼岸」制作
2011年 「幸福の容器」制作(~13年)
13年 「窓」制作(~17年)

(野村大輔)=6月15日西日本新聞朝刊に掲載=

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