
六本松藝術研究会 第2回 <1990年代の『ミュージアム・シティ・天神』」と福岡アートヒストリー/城内編>
2025/06/14(土)
14:00 〜 17:00
Artist Cafe Fukuoka スタジオ2
アルトネ編集部 2025/06/25 |
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2022年に始まった福岡市が推進するアートのまちづくり事業「Fukuoka Art Next」はじめ、アートを取り巻く状況が大きく動いている福岡。
昨今の活況を前に、福岡のアートが注目を集めた1990年代の福岡のアートシーンを再び振り返るイベントが、6月14日(土)、舞鶴公園内のArtist Cafe Fukuokaで開催されました。
本イベント「六本松藝術研究会」は、1980年代以降の福岡のアートシーンにおいて、アーティスト、アートコーディネーターと様々な立場から、現場を盛り上げてきた宮本初音氏(ART BASE 88代表)が企画したもの。
第2回目となる今回は、元 福岡県立美術館学芸員で、現在、インディペンデントキュレーターとして活動されている川浪千鶴氏を迎え、地域アートプロジェクトの先駆けとして、全国、世界から注目を集めた「ミュージアム・シティ・天神」*(1990-2000年代、主催は「ミュージアム・シティ・プロジェクト」以下、MCP)と当時の福岡のアートシーンについて、記録写真、資料を振り返りながら、様々なエピソードをお話しいただく会となりました。
*1998年と2000年は天神から博多部で拡大したことから「ミュージアム・シティ・福岡」と名称を変更し実施した(それ以前は「ミュージアム・シティ・天神」)。
MCP第1回目の開催は1990年。再開発ラッシュの渦中にある福岡市の都心・天神一帯を展示場所に、大規模な現代美術展を開催しようという話が持ち上がったのは1989年11月、開催の約10カ月前の出来事であったそうです。さらには、その後の約2カ月あまりの期間で、次の5つの基本方針がすでに意図されていたということ。その先見性、スピード感に驚きです。
① 運営を民間と行政合同の実行委員会形式とすること
② 2年に1度か3年に1度開催すること
③ 今後10年の間に国際美術展(の開催)を受け入れることが可能な施設づくりを企業に呼び掛けること
④ 地元アーティストについても背後から支援していく対策が必要であり本展においても地元アーティストが参加すること
⑤ 天神からスタートして福岡市全体へ拡大していくこと
(『ミュージアム・シティ・プロジェクト1990-200X』P10に記載)
「10年以上の活動の中で、著名な招聘アーティスト、その後、世界的な活躍をされた作家だけでなく、国外、国内、地元作家と本当に様々なアーティストが参加してくれています。今日は、一部を紹介するというのではなく、すべてのアーティストの作品を見ていただきたい」という宮本氏の言葉とともに紹介される怒涛のスライドショーは、500枚以上!
50人以上の作家が参加し、街なか130箇所に作品を展示したという第1回(1990)、第1回目の開催がネットワークを拡げ、開催することになったという中国前衛美術家展(1991年)、これまでの軌跡を踏まえ、「可動的」というコンセプトを掲げた第2回目(1992年)、そして、市内の様々な拠点でアートの催しが同時期に開催され、福岡が現代美術のまちとして活況を呈したという第3回目(1994年)……2000年代まで、開催毎にコンセプトや様相をがらりと変えながらも、時代や街の変化に応じ、アーティストや作品が、運営メンバーやまちの人たちが、現場に関わった確かな「試み」の軌跡が記録されていました。
続いて、1990年代当時、福岡県立美術館の学芸員であった川浪千鶴氏のトークが続きます。大学で美術館の歴史を教えている川浪氏が紹介するのは、福岡における美術館の成り立ちとその変遷です。
北九州市立美術館(1974年)、福岡市美術館(1979年)、福岡県立美術館(1985年リニューアル)、福岡アジア美術館(1999年)と、1970年代から1990年代にかけて、福岡県内で立て続けに開館したそれぞれの館の歴史やその特色、研究結果の結実としての展覧会をたどることで、1990年の福岡のアートシーンがいかにして築かれ、そして、今に至っているかということが、少しずつ浮かび上がってきます。
「‟ミラクル’94“と言われる程、福岡のアートが活況を呈した1994年、私は福岡県立美術館の学芸員で「現代美術の展望 ‘94 FUKUOKA - 7つの対話」という展覧会を担当していました。当時、福岡アジア美術館では「第4回アジア美術展」という国際展を開催中、第3回目のMCPでは、「超郊外」というコンセプトのもと、都心の天神だけでなく、能古島、姪浜にも作品を展開していました。この2つの大きなプロジェクトが行われる年に、ふたつの企画の合間を縫うようなかたちで、福岡県美では‟福岡の、個性的で魅力的な現代作家を紹介したい”と思ったんです。当時は、福岡市美術館、福岡県立美術館、ミュージアム・シティ・プロジェクトを‟3本の矢”にたとえ、‟それぞれの役割を担った「3本の矢」が揃うと強い!と言われていました。」
「福岡の以外の方に来ていただくにしても、同時期に3会場以上のスポットで、それぞれに特徴のある美術展を観ることができる。各施設やMCP、双方のチラシに告知を掲載し合ったりと、広報面でも協力をしながら展開していきました。複数の拠点と連携することで、まちをあげて現代アートを盛り上げていくことができるかもしれないというポテンシャルに気づき、それぞれの活動が上手く結びついたのが1994年だったと思います。」(川浪氏)
「MCPが美術館という枠を越え、都市に進出した美術展であったように、人のつながりにおいてもアート関連の人々だけでなく、民間・行政・マスコミと様々なジャンルの人が交わり、それぞれの人が自分のフィールドでできることを持ち寄った「プロジェクト」であったように思います。アーティストもそれぞれの個性と意見を持つ様々な世代の人がいて、関わっていた人たちも、決して‟みんなが見ていた先が同じであった“という訳ではないんです。ただ、もう少し努力をすれば、その先に行けるんではないかということで、様々な立場の大人の人が、惜しみなく動いてくれた――その結実としてのプロジェクトがMCPでした。」(宮本氏)
「他の地域の人からは‟福岡の人たちは仲がいいよね“っていうのはよく言われていました。2、3年先の展覧会の企画だったり、今こう言ったことを考えているとか、施設の違いや立場の違いを越えて、アートに興味のある人たちが、飲みの席も含め、よく顔を合わせてお互いの現場の話をしていました。94年について言えば、まちのいたるところにアーティストや美術関係者や評論家が居て、まちの人を巻き込んだ国内外の交流が生まれ、次の別の地域のプロジェクトに繋がっていったというのも目の当たりにしていました。私にとっても、美術館というハコを開く、その後につながる貴重な経験を積むことができました。」(川浪氏)
そういった活況の中においても、いつの時代も常に問題もあったと言います。うまくいったこと、苦戦したことのエピソードを振り返りながら、今できることの可能性が語られます。
「1990年代も今も変わらず、いつでもアーティストは新しいことに挑戦している。それだけはいつも変わらないことです。最近、‟福岡のアートがまた面白くなってきているね”と他の地域の人から言われることが増えているのですが、これまでのことを参照したり、反面教師にもしながら、新しい生態系のようなもの――人や関係性のようなものがどんどんできるといいなと思っています。」(宮本氏)
「福岡は‟チャレンジができるところ“だと思っています。よその場所で成功したものをただ持ってくるのではなく、他では許可がでなかったということでも、福岡では、何かを思いつく人がいて、材料を手に入れて、動ける人もいる――そしたら、まず、やってしまうということができる場所だということを、過去のMCPはじめ、アートプロジェクトを通じ、実感してきました。‟新しいもの好き”というところもあるのでしょうか。挑戦や新しいものを受け入れる土壌や気質があるのが、福岡らしさだとも思っています。」
10年間以上という年月をかけて、都度、変容しながらも続いてきたミュージアム・シティ・プロジェクトという、福岡のまちの試み。
「アジアの玄関口」であり、「コンパクトシティ」と呼ばれる福岡だからこそ生まれた美術の現場が、今につながり、これからを考える糧になるということを感じたイベントでした。
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